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2009年9月27日 (日)

旭川矯正展に行きました

今日、旭川刑務所で「旭川矯正展」があり、それに行ってきた。

実際に使われている護送車に乗れたのと刑務所内の見学はよかったが、それ以外は・・・

行きも帰りも護送バスは乗ろうとしたものには乗れず数十分待たされ、食べられると聞い

ていた試食も食べられず・・・パンフの説明もわかりにくかったので余計に腹が立った。

たぶん、普段は服役囚としか接していないので一般の人への対応がよくわかっていない

んだろうなぁって感じに思えた。

自分も公務員だが、未だにこういう市民のことをあまり考えていないところもあるのかと

逆に新鮮に感じた。

二度と行くことはないだろう、自分が犯罪者になったら別かもしれないが。

2009年1月10日 (土)

人生に悩む

年明け早々、5日連続で仕事を休んだ。

昨日あたりまではホントに何もする気がなく、1日中ずっと横になって食事も1食しかしなかった。

不眠症ではあるがうつというわけではない。

でも頭痛やめまいの原因は職場にあるっぽい。

前の係では上司との関係が原因だったのは確実だが、今の係でもなんで相変わらず

体調がよくならないのかがずっと不思議だったが、最近になって、仕事の内容が

困難できついからというわけではなく、毎日ひたすら同じことをやっているのが

苦痛というのがやっとわかってきた。

ひたすら支払いだけするために大学出てここに就職したのだろうかと思ってしまう。

よく「やりたいことで食べていける人はほとんどいない」と言われる。

そして、「生活のために働いている」ともよく言っている人がいる。

でも、みんな普通に仕事して生活していっている。

自分はなんでこんなに体調がよくないのだろうか?

ここの職場にいる限りずっとこんな調子なのだろうか?

親はせっかくの公務員を辞めないでくれという。

年末からの派遣従業員の雇用問題からも、1度仕事辞めて新しく探すのは

相当きついだろう。

法科大学院とかも考えたりもするが、3年勉強して、かつ司法試験に

合格できなかったときを考えると踏み切れない。

教員も人生を大学に入ったあたりからやり直したいが、結局はこのままずるずると

いくのだろうか。

このまま30年ここにいて、定年になったときに自分の人生が楽しいものだったと

いえるのだろうか?

きっと悩んでも悩んでも結論はでないのだろう。

だれかスッキリとさせてくれる意見をとつい思ってしまう。

でも来週からは普通に職場には行かないとならない。

つまらない仕事を機械にみたいするために。

2008年4月 4日 (金)

マズイ・・

予想通りというか、インターネットの将棋にハマッテしまい、社労士の勉強が進まない・・

仕事やりながらだから将棋は極力抑えて空いている時間に少しずつでもやっていきたい

んだけど・・

4月中にテキスト一巡目を終わらせて5月からは過去問に入るのは最低条件。

新しい係は気楽そうだけど、数年おきにころころ部署が変わるのを考えると、

ここでなじんで次で苦労も厳しいからやっぱり資格とって脱出が青写真。

今日は朝から体が動かなくて休んでしまったが、やっぱり久々に一週間仕事に行くと

かなりきつい。

夜が眠れないで朝必死に仕事に行ってるから、薬が残っているような感じが

かなりつらく感じる。

今日も三時くらいになりそうだし。

ここまで体力もなくなってしまったんだなぁと愕然としています。

2008年3月17日 (月)

仕事復帰

 明日から二ヶ月ぶりに出勤だ・・

まぁ元から休むほどではなかったと考えればタナボタのような休職ではあったけど、

またあの顔ぶれがいると思うとホント気が重いわ。

まぁ異動は確実だろうから適当に二ヶ月仕事して、病院側とはお別れ~って

なればいいけどね。

万が一辞めてほしいって言われたら次の日辞表を叩きつけるとかもやってみたい。

誰もがやりたいと思いつつできないことをやっていきたいね。

まぁ妄想を語ったところで普通に死んだ魚のような目をして淡々と働くんだろうけど。

 ところで、先週から将棋の勉強を始めた。

今は毎日問題集を数問ずつ解いている。

まずは錆び付いた刀を磨く作業みたいな感じかな。

数年後には大会へ進出も視野に。

小中学生の頃は序盤・中盤優勢で終盤にひっくり返されたパターンが

ほとんどだったので、

終盤を磨いて、戦法をを三つくらいに特化して磨いていく予定。

社会保険労務士の勉強もあり、仕事以外でも忙しくなりそうだ。

2008年3月 8日 (土)

実家から帰宅

今日、旭川に戻ってきた。

約半月実家にいたことになる。

日中は近所の店を食べ歩きして資格の勉強して、土曜は街に出て、

のんびりと過ごしていた。

薬の影響か、起床時間が10時すぎになってしまい、昼からの活動になっていたが、

割とのんびり過ごせていた気がする。

ここまでのんびりしていると、なんで今仕事を休んでいるのだろうって気がして仕方ない。

職場はニュースにも出ていたし大変な状況みたいではある。

しかし、どんどん職場への関心がなくなっていくことに驚きを少し感じた。

もう職場のことでは悩んだりすることはなさそうな気がする。

気持ちの冷めてきた対象には、もう氷のような心をもって、感情を挟まずに接することが

できるだろう。

そして鋼のような強い意志をもって、納得のいかない命令にはたてついていく。

残り2年は機械のように淡々と仕事をしていこう。

ただ、新しいことをやるには資格が必要だ。

予定では今年と来年に一つずつ資格をとる予定だが、3年以内に辞めたいので、

資格試験は必ず決めなければならない。

そして転職活動や独立の準備・・

組織の庇護の下、安定した生活も悪くはないが、自分は一人で何かをやっていきたい。

それがもしうまくいかなくても、ただそれだけのこと。

残り30年を同じ建物で数年おきに仕事内容をころころ換えて行うってほうがきつい。

ずっと同じような仕事を専門的にやっていきたい。

2008年2月18日 (月)

大学最後の年

大学生活最後の年。

この年の前半は公務員試験と大学の授業しかほとんど記憶がない。

公務員試験は、予備校にも通ってそれ一本で考えていた割には、勉強量は圧倒的に

不足していて、結局道職員上級、中級、警察官、国家Ⅱ種、旭川市役所と全滅。

あっという間に就職浪人が決まってしまった。

たぶん、来年もほとんど同じところを受けるのだろう。

きちんと戦略を考えなければとつくづく考えさせられた。

一方、大学の方は、ゼミに入っていなかったので、頑張れば前期で卒業単位を

満たせるということもあり、4年生の割には多く通っていた。

おかげで、卒論も書くことなく前期で卒業確定。

あとは一年、びっしりと公務員試験の勉強をして、就職を決めなければ。

・・・とは言いつつも、4年の後半は、まわりに留年している先輩や留年の決まった友達が

多かったこともあり、精神的には比較的のんびりとしたもので、またサークルに顔を

出すようになり、勉強も「まだ時間はたくさんある」という感じで、のんびりやっていた。

昔からなのだが、どうも本当に崖っぷちまで追い込まれないと本腰を入れられない。

こういう物事への姿勢は今後の人生でも大いに足を引っ張っていくのだろう・・・

あとは行ったことのない場所もあちこちまわった。

中には二度と来ることのない場所も多くあるから、たくさん見ておかないと。

動き回るのは苦にならなかったので、ガイド片手に秋葉原、お台場、上野などの都内や

鎌倉、横浜などをあちこちまわった。

4年の頃は来年北海道へ戻るのが確実なのもあって、彼女がほしいという気持ちは

なくなっていた。

ただ、友達に教えられた風俗には逆にハマってしまい、週に1回はピンサロへ

通ってしまっていた。あぁ・・・

大学は語学でクラスが分けられていて、朝鮮語のクラスは37クラス中1クラスしか

なかったこともあって、3年間同じであり、教室で一緒にいるときは仲はよかったが、

それぞれサークルや部活など別にメインの居場所となる場所がある人たちが

多かった分、授業以外でのつながりが薄かったのはほんの少し残念な気がするが、

これが社会人手前の大学生なのかなって感じでもあった。

実際、自分もサークルがメインだったし。

こんな感じで、大学の規模の割には大学内での知り合いは少なかったが、

比較的楽しい学生生活を送れたと思っている。

4年間通じて彼女がいなかったのだけが唯一の後悔。

この年の年賀状にはこう書いていた。

~東京ラブストーリーのような恋愛をしたいと思いつつ4年が過ぎました~

卒業式は1人で出席して周りは知らない人ばっかりだったけど、校歌の場面では

全員で肩を組んで歌った。

泣いている人もたくさんいた。

あとは式が終わったあとにたまたま会った友達とは写真を撮りまくり、

最後の挨拶をしていった。

自分の場合ははっきり言って、大学では競馬、サークル、旅行、飲みなど勉強面では

ほとんど得た物はないのかもしれない。

しかし、いろんな人間と接することができ、人間的な部分では大いに学んで行けたと

思っている。

そして、これはもし自分が将来ある程度の地位に昇れるような人間になっていればの

話だが、この大学のブランド力もきっと役に立つ場面がありそうだ。

自分もこの大学で4年間を過ごせたことに誇りを持っている。

最初は「社会人前の、最後に遊べる4年間」くらいの理由での大学進学だったが、

やっぱり選択は間違いではなかった。

自分はどんな社会人になっていくのだろうか?

社会で通用する人間になっているのだろうか?

2008年2月16日 (土)

働く意味

水曜日に、診断書を速達で職場に送った。

連絡は何もないから、たぶんまた1ヶ月休んでいいのだろう。

本来はこちらから連絡して、職場へ持参して近況報告や、今後の予定などを話しておく

必要があるのだろう。

そうでないと、休職中に何かがあって、所在を確認していないとなると管理上の問題に

なるからだ。

昨日シャワー中に一回だけ電話は鳴っていたが、出なかったらそれ以降は

かかってこない。

むこうはむこうでこちらに対してかなりむかついていることだろう。

むしろわざと火に油を注ぐ対応をしているのだから。

ただ、こちらもただ具合が悪いというわけではなく、かなり怒っているのは

わかってもらえるかな。

まぁ、主任と係長に対しての怒りだから、課長や庶務担当係長にはかなり申し訳ないとは

思うけど、ただそれだけ。

たぶん、来月復帰しても相変わらず挨拶も会話もない日がやってくるだけなのだろう。

ただ、この悪態をつきながらの2ヶ月間の休職。

そして、おととしの1年間の本省研修→体調不良による半年での強制送還。

出世はもうしないのは確実であとはどれだけ冷遇されるかってところ。

あと4年くらいいるとその辺が見えてくるのだが、そこまでいることもなく、

2つくらい資格をとって退職しているだろう。

「公務員を辞めるなんてもったいない」こういう人はたくさんいるが、こういう人たちに

聞いてみたい。

毎日淡々と働いてお金もらって終えていく人生のどこが楽しいのですか?

死ぬ間際に充実してた人生と満足して死んでいけますか?

大学3年目

1999年正月。この年の初めに寮を出た。自分がいた寮は、料金はものすごく安かったが、大学まで遠く(1時間30分)、しかも半分くらいの人が学校に行かなくなって、中退していくなどなかなか卒業を目指す人間にとっては環境が厳しく、あとは一人暮らしも経験したかったのもあって、大学へ電車1本で通える荻窪へ引っ越した。そして春休みには10日くらいで岡山~長崎を旅行。特に尾道と長崎には一生住んでもいいかなってくらい感動した。もう10年くらい経つが、またぜひ行きたい。

こんな感じで大学の3年生に突入した。

この年も2年時と変わらずサークルが生活の中心だった。

ソフトボールは経理担当、稲門会では副幹事になったが、どちらも出席率は高かったが、

あまりサークルの運営には積極的ではなかった気が。

ソフトは、実力的には主力だったが、同学年に仲がいい人が少なかったこともあって、

飲み会とかは上級生が来るときしか最後までいることはなくなってきていた。

好きだった子も全然来なくなり、サークルでは恋愛を求めず、また、サークルの

活動方針も純粋に楽しむから勝つへとシフトして、なかなか初心者の人が

寄りつかないサークルになってしまった。

この頃は留年して5年生になった先輩と特に一緒に行動し、頻繁に家に行って

ごろごろしたり、マージャンしたりしていた。

当時の生活の半分以上は一緒にいたような気がする。

稲門会では学年が進んでもやることは変わらず、飲んでいるだけだった。

ただ、後輩はみんな仲がよかったので、おごったりマージャンしたりと楽しく過ごしていた。

男はビールしか飲んではいけない決まりがあって、自分はビールは嫌いだったんだけど、

それでもほとんど行って最後まで飲んでいた。

授業は前年と同じく「出ていれば楽に取れる授業」を中心に受けた。

ポリシーもないまま商学部に来ていたが、そんな中でも「マーケティング」と「会社経営」に

関心が生まれてきた。

特にマーケティングはかなり面白かったが、あくまで興味をもったというレベルで

終わってしまったのが若干悔やまれる。

ひたすら苦痛だった韓国語も3年目になって若干やりがいというものが

出てきてはいたが、先生が厳しいのは変わらずで、せいぜい辞書があれば

文章が読めるくらいのレベルで終わった。

秋ぐらいから就職が話題になることが良く出てくるようになり、自分は最初から

公務員志望だったので授業のあとに早稲田セミナーに通って勉強していたが、

まわりはセミナー行ったり就職活動等でなかなか顔を合わせることは減ってきていた。

この時期になると大学は就職活動一色になっていた。

自分はあくまで、面接の練習対策という感じで1社受けただけだった。

二次で落ちたが、参考にはなった。

勉強は、予備校で授業は受けてはいたのだが、他の公務員志望者に比べると

かなりのんびりしていた。

昔からよく甘すぎると言われるんだけど、「なんとかなる」というこの考えが根本に

あったため、3年から勉強していればどこかは受かるはずと、相変わらずサークルを

優先させていた。

精神的にはものすごく彼女がほしくてどんな女の子も可愛く見えたり、セミナーで

知り合った子とは番号交換してどうやって誘うかばっかり考えていたり、

たまに風俗に行ったりもしていた。

合コンはこの年は数回しかなかったが、相変わらず二人きりになるまでは

順調なんだけど、そこからの一歩が踏み出せないという、今の日本サッカー代表並みの

詰めの甘さを出しまくっていた。

あとは、「なんで人は生きているんだろう」という、哲学的なテーマにハマってしまい、

一人でいるときはひたすら考えていた。

結論は出ていないが、最近またこのテーマが頭を常によぎり仕事への意欲をなくしている

この現状への一因だと思われる。

食事はキムチ鍋やしゃぶしゃぶなどばっかりだった。

近くのスーパーで産地不明の肉が安かったのあるけど、とにかく安かった。

来年はホント就活一色の一年なるだろう。

自分はどこかに就職は決まっているのだろうか?

2008年2月14日 (木)

大学2年生

今日は雪がものすごい降った。

なんかも明日も降りそうな予感。

また明日も雪かきか・・・

最近ホント昔のことばっかり思い出す。

まだ30歳なのに・・

大学2年生は4年間で一番楽しかった。

1年生の後半はほとんど大学に行かず、麻雀とゲームに明け暮れていたので、

1年間のテーマは「社会復帰」だった。

授業は友人が少ないのを自覚していたので、「ノートや過去問が手に入れば

楽に単位が取れる」ではなくて、「出席さえしていれば楽に単位が取れる」授業を狙った。

土曜日に必修の朝鮮語があったのがかなり辛かったが、そのままソフトボールの練習に

直行というパターンが固まっていった。

この年は単位は全部取得。だいぶ人並みに追いついてきた。

寮では相変わらず飲むかテレビゲームかマージャンの毎日。

あと、深夜アニメやフジのドラマなど、ひたすらダラダラしていた。

でも、寮でのマージャンは日によってはプラスになることも出てきて、

その成果か、サークルの人たちとやるとほとんど負けることはなくなっていた。

ドラマは竹野内豊と田中美里の「With Love」にはまっていた。

内容はメールでどんんどん惹かれあっていって最後に相手は自分に近いところにいた

という話なんだけど、これが東京の恋愛なのかと思い、彼女を捜してひたすらギラギラ

していた。

自分の恋愛関係というと、サークルの同学年の子を好きになって、周りの先輩たちから

サークル内のネタ探しも兼ねて応援されつつ、サークルにいるときはなるべく近づいて、

たまに電話もしたり誘ったり、一番初々しい青春時代だったと今にして思えば思えてくる。

結局は一回だけ池袋を二人で歩いただけだったんだけど、そこで性格、感覚が

全く合っていないと確信してしまう。

美術大でAB型の人はこういうことなのかっていうくらい、全く合わないことが判明し、

この子に対しては、それ以降は積極的な行動は見せず、普通の友達路線へと

シフトしていった。

他にはせっせと合コンに行ったり、別のサークルの後輩の子を狙ったりもしていた。

合コンは先輩の「安いキャバクラと思って楽しめ」という格言を元に、とりあえず狙った子

から番号を聞くところまでは行くが、電話はつながらない、仮につながっても、

話している最中に「ああぁ、電池が・・」って切れてそれ以降二度とつながらかったりと、

散々だった。

ただ、高校時代は話すことすら苦手で会話もほとんど続かなかったことを考えれば、

電話して誘うなんて信じられないことで、成長を感じさせてはいた。

稲門会のほうも一番気楽な学年ということもあって週二回飲み会にもほとんど参加して

朝まで飲んでって感じで、裸足で早稲田から新百合ヶ丘まで帰って周りの人に

じろじろ見られたり、朝帰りして2月に寮で酔い覚ましに水を浴びたり。

こちらはまじめな人が多く、じっくりいろんなことにじっくり話し込んだりする、

落ち着いた感じのサークルだった。

痛かったのが、自分が入学した年から学園祭がなくなってしまったことで、

他大学の学園祭に行ったりもしたが、やっぱり「お客さん」って感じで

ただ回っているだけだった。

この年はソフトボールのほうで、かなり中のいい先輩が何人かいてサークルに

いるときはもちろん、普段も電話したり遊んだりと、「彼女がいない」っての除くと

常に楽しい、一番学生ライフを満喫してる感じの一年だった。

ただ、就職したら北海道に戻ることは決めているので東京にいる間に

都会の恋愛」というものを経験してみたい。

残りの目標は彼女探しになっていた。

2008年2月13日 (水)

学生時代の思ひ出(1年生)

最近、妙に昔が懐かしい。特に思い出されるのは大学時代の思い出。

(大学1年)

入学前の説明会の帰りの初っぱな、怪しい自己啓発系のサークルに連れて行かれ会費1500円を置いて逃げ帰った。

入学式後いろんなサークルから勧誘され、サークル案内の雑誌を読み込み、女子の多いサークルを捜したが、結局は北海道出身者で集まって遊んだりする北海道稲門会とソフトボールサークル、若干チャラメの旅行サークルにまずは所属。

春くらいまでは見学にどこのサークルに行ってもひたすら歓迎で出会う機会はあったが、そういう機会は活かせず男の知り合いばっかり作っていく。

とりあえずはまじめにサークルには出ていた。稲門会は将来にわたる北海道出身の友人作り、ソフトボールは運動+彼女捜し、旅行は旅行+彼女捜しと明確な目的があった。

好みの子には電話で誘ったり、飲み会の帰りに酔っぱらった子と二人きりになって連れ込もうとしたら新宿駅ではぐれてしまったりもしていた。(笑い話にはなったが)

5月には初めての早慶戦。朝早くから集合して場所取り、昼は飲みながら応援、夜は歌舞伎町で朝まで飲む。途中、アルタ前で放置した友達が、数時間後3次会会場にやってきていきなり自分を指差して「こいつに捨てられた」と言いだし、コールの中お詫びのビール一気飲み。全員が酔っぱらいでその後徒歩で移動して大学の正門の前で寝る。他にもたくさんの学生がいて、ほのぼのとしてしまった。

ソフトのサークルでは自分のせいで女の子が辞めていくとうわさになり、すぐ同学年女子と話していれば口説いているとネタで言われる。実際には1人だけだったんだけど、自分が陰でちょっかい出して来なくなった子は。なぜか上級生には好かれていじられキャラとしてのポジションを確保。

寮では、酒好きの友達がいてほぼ毎日持ち回りで飲み会。主要メンバーは全員童貞だったので100%女の話。完全に妄想トークだった。麻雀が行われている時は麻雀組に。麻雀は自分以外は全員先輩だったので麻雀でも勝てなかったが常に気も遣いながらだった。テストの1日前とかでも「人足りねぇんだわ~」と平気で連れて行かれるし。

旅行サークルは、夏休みに男が1人多い状態で大分に旅行に行った。夜になると当然カップル化する者が出てくる中で、よりによって自分が余ってしまう状態になり、周りのいちゃつきに耐えられず深夜に一人で海で泳ぐ。自分のこういう場での積極性のなさを猛省し、このサークルはこの時点での脱退を決めた。

稲門会は週に2回集まって飲み会というサークルでほぼ全出席だった。夏にダンスパーティがあってオイシイ思いを期待したたくさんの男女が六本木ベルファーレに集結。何人かに「ヤクザ」「地上げ屋」とビビられる。踊る人は全くいない中でお互いが相手を探している。自分も先輩に言われ何人かに声をかけるが、相手にされない。結局別の人が声をかけてきた青山女子短大のグループと軽くお茶をするが、その後には全くつながらず。自分は普通の素朴でまじめそうな路線で行こうと再認識。

授業は、商学部だったが、商学部らしい授業の記憶はほとんどなく、韓国語の授業がひたすらきつかったという思い出しかない。これは語学の授業のある3年間通じての記憶である。4年をとしての授業の記憶はこれしかない。

秋に初めての合コンがあった。その日はフェリス女子大学で学祭があって横浜で遠征していたのだが、その話を聞いて高田の馬場へトンボ返りで参戦。男側で一人イタいのがいて、その人のおかげで他の男性陣は若干ポイントアップって感じだったが、帰り道女性陣の中で一番気に入った子とはぐれて二人で行動するもその場では何もできず、後日先輩陣から罵倒の嵐。

この失敗は2年生に活かす!と強う信念を持って2年に進級。

ちなみに単位は半分くらいしか取れず、この時期にして4年での卒業への一抹の不安が芽生えてくる。

(つづく)

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